ハリーポッターと不死鳥の騎士団
年:2007
時間:2時間18分
現実世界でも起こっている理不尽を風刺しているようにも感じる作品だった。
魔法省は恐怖心からヴォルデモートの復活を認めずハリーやダンブルドアを嘘つき呼ばわりし、新聞なども呼応する。都合の悪いことから目を背けるために真実が捻じ曲げられる場合があること、報道が常に正しいとは限らず自ら判断する必要があることは、現実世界でも同じだなと感じた。
魔法省からファッジがホグワーツの教師として派遣されて来るが、キャラクターが強烈だった。権力を駆使して様々な規則を作り生徒の行動を制限する上に、規則破りに対する措置は書き取りという名の体罰。ダンブルドアが生徒と共に反乱を起こそうとしているという誤解があってのことだが、やり方がひどい。また、ファッジは生徒に実践経験を積ませないために、自身の担当の闇払いの授業で筆記のみ行い生徒から不満が出ていた。現実では筆記のみの授業が割とある気がするので、皮肉に感じた。実践できるものは授業で取り入れたほうが身につくだろうな。
第三作で出てきたシリウス・ブラックとハリーが再会し、将来一緒に過ごすことも改めて約束していて、ハリーがやっと親同然の心を開ける人ができて良かったと思っていたので、最後にシリウスがあっけなく死の呪いで殺されてしまって悲しい。第四作でも思ったけれど、魔法界は死の呪いがあるせいで、人があまりにも簡単に殺されてしまう。
第一作からずっと出てきているネビルの過去が初めて分かった。ハリーと似た境遇だったなんて。落ちこぼれ的描写がありながらも、ハリー達の校則破りを勇気を持って止めようとしたり、植物という自分の得意な道を見つけていたり、舞踏会に向けて練習しロンの妹のジニーと踊っていたり、何度も呪文を練習して最終的には使えるようになっていたり。不器用だけど一生懸命な感じが応援したくなってしまう。
最後にハリーがヴォルデモートに乗っ取られそうなとき、ダンブルドアが、
どんな人の中にも正と悪が存在している。選ぶのは自分自身だ。
というようなことを言っていた。ダンブルドアの言葉はいつも自分がどうありたいかを問うてくるなと思う。
ハリーが友人に恵まれていて良かった。ハリーが孤独になってしまったら、一気にヴォルデモートに取り込まれてしまいそうで怖い。
あと、スネイプ先生の過去も少し明らかになり、ハリーにキツく当たる理由がわかった。まさかハリーの父親がいじめっ子だったとは。学生の頃いじめられた人の息子を、立場上守らなければならないのは、納得しても感情的に割り切れない部分がありそう。シリウスはハリーがお父さんそっくりと言っていたので、スネイプ先生的には顔を見るのも嫌なんだろうな。
ハリーポッターと炎のゴブレット
年:2005
時間:2時間37分
他校との関わりも描かれていて今までにない雰囲気。序盤にクディッチのワールドカップがあり、学校でも選ばれた生徒達による三大魔法学校対抗試合があり、魔法界の人間界と同じような風習を感じることができた。
これまでずっと仲良しだったハリーとロンの仲違いや、舞踏会のダンス相手選びなど、今までの冒険とは異なる人間関係部分も多くて面白かった。
中盤までは対抗試合で楽しい雰囲気だったが、トロフィーを取ってから一転してシリアスになった。シリーズで初めて人が亡くなる描写があり、ヴォルデモートが復活。死の呪いで人を殺せてしまう魔法界は、人間界よりも人の命が脆くあっけないと思う。そして、簡単に人殺しになる危険性をはらんでいる。
前作で逃したペティグリューがヴォルデモート復活の手助けをしセドリックを殺してしまったので、嫌な予感があたった。
また、ムーディーが偽物でバーテミウス・クラウチ・ジュニアがポリジュース薬を使って変装していたと分かった時、年齢的には試合に出れないハリーの名前がなぜ炎のゴブレットから出てきたのかという疑問や、ハリーが試合を勝ち進むためのヒントを都合良くつかめている違和感に対する答えが分かって一気にすっきりした。やたらと謎の飲み物を飲んでいる描写も全て伏線だったのか。すごい。
ヴォルデモートの復活で、今後はシリアスな展開になっていきそう。
ハリーポッターと秘密の部屋
年:2002
時間:2時間41分
ハーマイオニーはあんまり変わらないけれど、ハリーとロンが若干成長していた。
一作目でハリーの組分けが難航していたことが気になっていたけど、ハリー自身も気にしていたのか。グリフィンドールとスリザリンの相反する性質を両方併せ持っているということは、闇堕ち?の危うさも抱えていることになるのかな。
ダンブルドアが、
どんな能力を持っているかではなくて、どうありたいかを大切にしなさい。
というようなことを言っていた。どうしても自分の能力から行動を決めがちだけれど、どうありたいという指針から決める方が後に得るものは大きいのかもしれない。
ただ、どうありたいというのは曖昧になりがちで、なりたくない存在の対として浮かび出てくるのかも。ハリーも組分けのとき、グリフィンドールが良いではなく、スリザリンは嫌だと願っていた。自分のありたい姿を持つという意味では、心の中で好き嫌いを明確に持つのも大切なのかもしれない。
トムリドル=ヴォルデモートには気が付かなかった。ハリーポッターって単なるファンタジーではなくて、ミステリーの側面もあったのか。
トップガン
年:1986
時間:1時間50分
飛行機の音・映像の迫力がすごい。映画館で観たら臨場感とんでもないだろうな。
映像技術などは最近と比べたら劣るのかもしれないけれど、当時の作品ならではの雰囲気が漂っているのが良いなと思う。あと俳優さん達の器量が良すぎる。
大ヒットしている昨年公開の続編も気になる。
セッション
年:2014年
時間:1時間47分
2023年の目標だけどフライングスタート!
100本目標の1本目はセッション。
アマプラで観れる残り時間が僅かだったので再生。
言葉と肉体の暴力を容赦なく浴びせるパワハラ教師と、偉大な人物になることを求める孤独な青年の物語。
所々で挟まれる良い人風の描写が、教師の教えている時の狂気を引き立たせていた。
パワハラ教師の狂気に引き込まれる青年側にもまた狂気はあって、人との関係を絶ってでもドラムに打ち込むという執念が恐ろしくも見えた。
最後の演奏シーンは目が離せなかった。狂気に対抗できるのは狂気と言えば良いのか。狂気同士がぶつかり合うからこそ最高の演奏ができると言えば良いのか。とにかく圧巻だった。
作中で教師が、"世の中甘くなった"的な発言をしていた。後世に名を残すような人物は、自分のような高い理想を持ち、厳しい指導をする人間がいるおかげだというニュアンスの話の中で出てきた言葉だ。
確かに、厳しく接してくれる人がいるから人が育つ面もある。言ってくれる人が居なければ気がつかないことも多く、言ってもらったとしても気に留めない場合もある。厳しく接してくれる人が減った今は、誰よりも自分が自分に厳しく生きるべきなのかもしれない。